2009年4月27日 (月)

広島の旅 6 日本のマチュピチュか 竜王山と筆影山

呉線須波駅の近くに、瀬戸内海の島々の美しい眺め(多島美)を満喫させ、JRポスターで、多島美の写真を撮ったという竜王山(445m)と、筆影山(311m)があるので行ってみることにした。 歩いても登れるようなのだが、三原からの定期観光コース(筆影山~竜王山~すなみ浜公園)を利用することにする。
瀬戸内海の多島美を楽しみにして乗車場所の三原駅前で待っていた。 少し雲が出ているので、見晴らしぐあいがちょっと心配になっていると、乗車時間になり、目の前にタクシーが止まり名前を呼ばれる。 人数によりタクシーになったり、ワゴン車になるという。
  
駅前から右前方に見え、海に映る山の形が筆のように見えるところから、筆影山と呼ばれるようになったという山に向かって出発する。 広島県は、筆の生産で有名だが、それらしい名前にふと微笑んでしまった。
沼田川に架かる沼田大橋を渡り、民家の間を抜けて林道に入る。車がギリギリすれ違うことが出来るぐらいの山道を登って行くと、途中に休憩場所(駐車場)があって、三原市内が一望でき、土地の人が私財を投げ出して造ったという石仏が、所狭しと並んでいた。 休憩所を後にして、山道を走って行くと、林道の両側に桜の木々が目立ち始め、約二千本の桜の木があるらしく、桜の時期は美しいだろうなどと考えていると、山頂の駐車場に着く。 その先にも車道があるが、鎖が張られ進入できないようになっていた。 タクシーがその前に止まり、運転手さんが車から降り鎖をはずし戻ってきて、営業車両だけは奥まで入れるという。 タクシーは展望台の下
まで進み止まる。 曇ってはいるが期待して展望台に登ってみると、ガスっていて四国どころか、残念ながら多島美もかすかに見えるだけで、天気が良かったらと想像し空を見上げると、天候も快復ぎみだし、竜王山に行ったころにはと期待する。
 
筆影山と竜王山の間の鞍部沿いの下を走る林道は、海側は急な斜面で、瀬戸内海が一望できる場所もあり、スリルのある路だ。 運転手さんが、竜王山には平家の落人集落と言われている所があると話してくれたけど、狭い林道を走った先の、山の上に集落が本当にあるのか疑問に思いながら、窓の外を眺め続けた。 

龍王山に着くと、目の前に民家が現れ畑まである。 なんでこんな山の上に集落がと、ちょっと信じられない光景だった。 最初に頭に浮かんだのは、水はどうしていたんだろうということだった。 運転手さんにそのことを聞くと、水道の圧力は強いし、ここまで水道の水が来るから大丈夫だという答えに、それ以上聞けなかった。 

ちょっと離れた展望台に行くと、まだ天候は快復してはいない。 しまなみ海道の七つの橋(瀬戸内海の島々に橋を掛け、四国まで車で渡れる)が見え、四国山地が遠望できるというが、うっすらと島々が見えるだけだ。 これは、冬によく見られるといわれている海霧(海の上に発生する霧)とは、ちょっと違うようだ。 真下には、海岸線に沿って民家が並んでいて、島々と海岸線の間を通る船は全て見渡せる。 
屋島の合戦で敗れた平家の、泰四郎国重が開いたというが、葉田重五郎正時という説もあるらしい。
展望台から戻り集落を眺めていると、この集落に入るには険しい山道を登らないと入れないし、人が山道を登り近づいてくれば、発見するのは容易なことだろう。 瀬戸内海の船の接近も全てわかる。 畑もあるし、自給自足も可能だ。
フト、アンデスのマチュピチュを思いだしてしまった。

車は、竜王山からあっというまに海岸線に下り、瀬戸内海に沿って、すなみ浜公園を走る。

2008年11月15日 (土)

広島の旅 因島

因島は、瀬戸内海のしまなみ海道(瀬戸内海の島々に橋をかけて、中国の広島県から四国の愛媛県を結ぶ道路)に浮かぶ島で、三原港から高速船とフェリーも、因島の重井西港と土生港まで出ている。バスで、瀬戸内海に架かる橋を渡り行くのもよいが、島には船で行きたい気持ちが強く、船で行くことにした。
フェリーで行きたかったが、時間が合わないので高速船に乗り三原港を出港すると、瀬戸内海の波は湖みたいに穏やかだった。 昔はイモ、今はミカンで知られている佐木島を、右手に見ながら因島に向かって進む。

因島は村上水軍発祥の島で、南北時代から戦国時代を通して、島々の要衝に砦を築き海賊衆として、瀬戸内海に大きな勢力を持っていたといわれている。
因島に来る前に、因島出身で釣り好きな好青年と出会って、いろんな話しを聞くことができた。 因島は村上水軍発祥の島だけあって、村上姓の人が多いらしい。 そして異常気象のせいか、今まで穫れていた魚の数が極端に少なくなり、穫れたことのないサンマが瀬戸内海に入ってきて、サンマが穫れるようになってきたという。 囲碁の本因坊秀策の出身地で知られている島だというが、今はよくテレビに出てくる女優と、ミュージシャンの人が、島出身の有名人だと聞く。 尾道ラーメンは、東尾道駅の近くにあるラーメン屋が、彼は一番美味しいと思うと話してくれ、尾道に行く前に聞きたかったのだが、残念だった。

重井西港に上陸すると海沿いに民家が並び、右に行くと右側に小さな工場地帯があって、その向かいの奥に高校がある。 島で製造されていて美味しいと噂の和菓子(大福)があり、店の名を聞いていたので、港の付近を散策しているとき、庭の手入れをしている女性に訪ね。 場所を知ることができた。 港の待合室に、貸し自転車の張り紙があったので、港に戻り自転車を借りて、島巡りをすることにする。  

港から自転車で左に走り、小さな峠を越えると信号があって、信号を右に曲がると、小山のかげになっていて海からは見えないが、集落が点在している。 道に不安になり誰かに聞きたかったが、聞く人もいないところに、タイミングよく小学生が一人歩いてくる。 自転車を止め商店の場所を聞くと、標準語を頑張って使って、親切に教えてくれた。 大都会とか市のつくところで、小学生に道を訪ねたら、走って逃げていくし、不審者として通報されてしまうだろう。 世が世だから、仕方ないのかもしれないが、何か感動を覚え、自転車のペダルも軽くなる。

和菓子の売っている商店にたどり着き、教えられた大福を一個買って食べてみる。 洋・和菓子はあまり食べない方なので、よくわからないが、甘さもおさえ気味で美味しい方だと思って、追加で3個買ってしまうと、小さな保冷剤を入れ渡してくれた。
ここの商店で、近くに食堂がないか聞いてみると、すぐ近くに食堂があると聞き、そこで昼食をとることにする。 食堂に着くと、そこはほとんど土地の人が利用するような、レストラン形式の食堂だった。 広島はカキが有名だが、まだカキを食べていなかったので、カキフライ定食を注文して、ついでにお銚子も頼み、大きなカキフライを肴に、銚子二本もあけてしまった。

水軍城に行こうと、自転車を走らせる。
道端に島でとれた柑橘類を置き、個人的に売っている所を、何カ所か見かけたが、かなり安めだ。 お寺の側から坂を上り、途中から歩いて水軍城に登る。 城は山城で二の丸が再現され、展示室・資料館になっていて、見晴らしの良い場所だ。 城から降りて、どこを回ろうかなどと考えながら、土地の人と話していると、観光の人は因島より隣の生口島に行くよと、言われてしまった。 確かに生口島には、30年ぐらいの年月をかけて、飛鳥~江戸時代の仏教建築様式で復元されたお寺とか、著名な画家の美術館があるから、当然かもしれない。 最初は、村上水軍発祥の島からと考えていていたので、それほど気にもならなかった。
話の中で、因島は土生港の方が街としては賑やかだと知るが、何もなく寂しいと聞いた向島側の海岸線にでることにした。 海岸線に出ると向島を左側にみて、右側にも弓削島がある。 因島は広島県に属し、弓削島は愛媛県に属していて、島々の県境は複雑なようだ。 弓削島には商船高専学校があり、生徒達は素朴な小さな島では退屈らしく、飲みに行くときは因島に渡り、広島県第二の都市になる福山市まで、飲みに行くらしい。 
海岸線を左に走ると、因島大橋が見えてくる。 その橋の下を通過すると、因島大橋記念公園があって、公園の中を走ると、灯台やキャンプ場・ビーチなどがあり、公園を通り抜け重井西港に向かう。

帰りの高速船に乗り、白滝山に700体あるといわれる石仏、五百羅漢を見てくるのを忘れていたのを思いだし、失敗したと後悔しながら、歌人 吉井勇が詠んだ 「白滝の山に登れば眼路広し、島あれば海、海あれば島」 を頭に浮かべながら、船に揺られ夕焼けを見続ける。

2008年10月27日 (月)

広島の旅 ��尾道

JR広島方面から、工場地帯の糸崎駅前後を通過すると、海岸線が見え、向島から因島に渡る因島大橋が、目に飛び込んでくる。海岸線の小さな漁港には、幌屋根の付いた小舟が並ぶ。

私は宿を始めて3年になるが、親しい人が一番心配したのは、一カ所に長く住み着くことが出来るのか、無理なのではないかということだった。それぐらい移動というのか、歩き回ってきた。
気に入れば、一カ所に数カ月は当たり前のように、生活の一部にもなっていた。そのことを知っていたからこそ、忠告したのだろう。

そして、ある知人が、今の日本がつまらなくなったのは、日本には旅人がいなくなってしまったのも、一つの原因だと言っていたが、確かに戦前ぐらいまでは、旅人がいたように思う。いつでも帰る場所が存在し、戻ることができる。それは旅ではなく、旅行だという考えかただ。

私は冬期休業して、ブラブラと出かけているのが、宿を続けられている要素なのかもしれない。などと考えながら、電車に乗っていると、電車は尾道駅に近づいてきた。

電車が尾道駅に着くと、山肌が駅の側まで近づいてきているのに、驚かされた。古い駅舎で、改札口の右側に、食堂と書いてある入り口があるので、戸を開けて入ってみると、駅のホーム以外にも、駅構外からも入れるようになっている。目の前にカウンター、があり、カウンターの奥が厨房になっていて、左には手前から奥に、小さなテーブルが二つ並ぶ。その先の厨房と壁の間に、1メーターぐらいの高さで区切られた境があって、そこから先には行けないようになっていた。境の向こう側には、駅構外から入ってくるお客さん用のテーブルが、横に並んでいる。
駅のホームに、カウンターの立ち食いがあり、厨房を挟んで、改札口からでた駅構内にも、カウンターの立ち食いがある駅は、時々見かけるが。このような作りは始めての経験だった。

改札口を抜け、駅構内の観光案内所で、観光資料をもらう。尾道は、江戸時代に瀬戸内海で発達した弁財船(北前船・千石船)の寄港や、石見銀山の積出港として、繁栄したと伝えられている。尾道にゆかりのある作家も多く、映画のロケ地としても知られているこの街を、どのように歩くか悩んでしまった。
海を見ようと思って駅を背にして歩くと、目の前に、川と間違えてしまうぐらいの幅で、泳いでも渡れそうな距離に、陸地がある。あわてて観光地図を見ると、尾道水道と向島だった。
水道沿いを左に歩き、うず潮小路から本通り商店街に入り、右に行くが活気のある商店街ではない。商店街の途中から左に曲がると、国道二号線に突き当たる。国道の向かいの、2メーターぐらいの高さの所を、JRの線路が国道と平行に走っていた。線路の下には、人が通り抜けられるほどのガードがあり、ガード下を抜けると、枕木の隙間から空が覗けるようになっている。
その先に階段があり、階段を登ると禅寺があった。境内に足を踏み入れると、本堂の左にあるお堂が目に入ってくる。お堂の中には自由に入れるようなので、戸を開けてみると、中には五百羅漢が並び、見事な眺めだ。本堂の前には、「死のうと思う日はないが 生きてゆく力がなくなることがある そんな時お寺を訪ね 私は1人佛陀の前に座ってくる 力わき明日を思う心が出てくるまで座ってくる」と、書かれた角材の碑がある。

商店街に戻り左に歩くうちに、腹が減ってきたが、大衆的な食堂がまったく見つからない。何気なく右の小路に入ってみた。すると2~3人並んで歩ける幅ぐらいの路地があり、曲がってみると、両側に飲食店らしき店が並んでいる。昼間は開いてはいないようだ。そのまま歩いていると、一人ぐらいしか歩けないような小路地に行きあたり、バーらしき看板が目立つ。昭和のノスタルジア的なとでもいうのだろうか。看板に灯りがついたころ、ブラブラと歩き、気に入った店に入ってみたくなってしまった。

商店街に戻り、右に歩くと二号線に突き当たる。国道を横切り、左の車道のガード下を抜け、古寺めぐりコースに向かう。
途中ラーメン屋を見つけ、入ってビールとラーメンを頼むが、そこのおばさんはビールを出さないで、ラーメンを作り始めた。ラーメンを作っている間に、湧いたノドを潤したかったのだが、ラーメンを作って出してから、ビールを出そうとしているので、ビールを断りラーメンだけを食べることにした。
これが尾道ラーメンかと思い食べ始める。
ドンブリは小さめで麺は極細、麺の量もちょっと少なめで、魚か肉かよくわからないが、その油がのった濃厚なスープだ。
これに似たようなスープを何度か味わったことがある。北関東の小さな町の食堂で、今は普通の醤油スープに変わってしまったとこと、旭川のはずれの小さな駅前にあって、昼間から普通に焼酎を、飲んでいる食堂だ。

古寺めぐりコースに入り左に歩きはじめると、右の山の中腹に大きな伽藍が見えてくる。坂道を登って、仁王門を過ぎると、大きな砦をおもわせるような雰囲気のお寺だ。ここは城下町ではないようだが、三原もそうだったが城主が砦としての機能をもたせるために、お寺を山の中腹に移築させたという。ここもそのような意味が、あるのかもしれない。
お寺を下り古寺コースに戻り右に歩いていくと、二人並んで歩けるぐらいの道幅になり、坂あり階段ありで山の方から海までの中腹に、お寺と民間が複雑に建ち並んでいる。これが、尾道を紹介する写真などで、よく見る風景だなと思いながら、ロープウェイの山麓駅に向かう。公園とお寺がある千光寺山を眺め、ロープウェイにのらないで、歩いて行くことにきめた。
急な登りだが、そこにもお寺と民家が建ち並び、その隙間を抜けるように歩いて行く。山の中腹に建てられている民家は、別荘にしている人とか、空き家が多いときくが、この空き家をどのように再利用するかが、土地の人達の悩みの一つらしい。
千光寺に着くと、そこからの眺望がよく、街並みが尾道水道まで続き、向島と左に新尾道大橋が眺められる。
千光寺山はお寺だけではなく、その周りは公園になっていて、公園には美術館や体育館、文学の小道、文学の館などがあり、尾道のシンボル的な存在になっているという。

山を下りながら、尾道は路地裏と坂道の文化であり、数ヶ月間駆け落ちしてくるには、良い街かもしれないと思ってしまう。

2008年10月 5日 (日)

バイクサーカス

函館市の市電五稜郭電停から、北に1キロほど行った所に、亀田八幡宮がある。
9月中頃に亀田八幡例大祭があり、今年は14日から17日までおこなわれた。
函館で一番露店が出店するといわれ、約百店ほどの露店が並び、観光客はほとんど見かけないが、土地の人達で賑わう。

毎年このお祭りに、北海道だけで年に数回しか、興行しないといわれるバイクサーカスが興行する。
大きな桶を想像してしまうその上の外側から、中を見れるようになっていて、その内側をバイクが横になり走り回る。
上から見ながら、千円札を差し出すと、バイクは上ってきて、札を取って行き、手放しでバイクが走り回る。
後継者がまだ育っていないらしく、このバイクサーカスが無くなってしまう可能性もあるらしい。
「男はつらいよ フーテンの寅」 の映画にも、出演したことがあるというこのバイクサーカスは、日本で無くなって欲しくないと、思う一つです。

2008年6月17日 (火)

広場の旅 三原神明市

今日は尾道より2駅広島市寄りの三原市で、三日間おこなわれている三原神明市(神明祭・2月上旬)の最終日だ。400軒以上の露店が立ち、ダルマ市・植木市も並ぶ。高さ4.3mの、日本一大きいといわれているダルマがシンボルになっていて、20万人前後の人出で賑わうという。

神明祭は伊勢神宮を祀った祭りで、室町末期に神明祭信仰が、全国に広がったと言われている。

三原駅浮島広場に出ると、広場にも露店がでて人々が行きかっている。
駅を背にして右方向から、ガード下を抜け隆景広場に行くと、西国街道の両端に露店が並び、人波みがユックリと右に動いていく。
人波に入り、両側の露店を見ながら進んでいくと、一軒の露店の前に人が並んでいる。よく見ると、お好み焼き百円と書いてあった。今まで見てきたお好み焼きの露店の中では、一番安い。

そのまま露店街を歩いていくと、大きなダルマが見えてきた。なるほど、確かに大きなダルマだ。ダルマに近づくと、街道に作られた陸橋のような台の上に置かれ、下から見上げられるになっている。
ダルマの下をくぐった先に露店はなく、街道は右に曲がっていく。街道が曲がる前の、左前方の山の中腹にお寺があるようなので、坂道を登って行ってみることにした。

中腹には、三つの寺が並んで建てられている。お寺巡りをすることにして、真ん中のお寺に行き着くと禅寺で、武者小路実篤の 「私は松である雨が降っても風がふいても松である一本の松である間松であることに誇りを感じて最も松らしく生きようと思う私は松である」 という歌碑があった。
お寺巡りをしているといつも思うのだが、禅寺の境内が一番落ち着く。
本堂の裏に三重の塔が見えているので、裏に回ってみると階段があり、階段を登った上に塔がそびえている。今まで寺塔は、真横からとか少し真上から眺めたことはあるが、真下から見るのは初めてで、塔の後ろには青い空が控えていた。 達磨さんが山の中腹で座禅をくみ、真上から優しく包みこんで、見ているように感じてしまう

中腹から下りてくると、お寺が三つぐらいあって、その近くにはお化け屋敷の小屋とかが興行している。また露店街に入り、駅方向に歩きだす。

ある露店の前で、露店の中にある醤油が目につき、おどろいてしまう。その醤油は青森県で作られているもので、青森近県でしか、販売されているのを見たことがない安い醤油だったからだ。昨年スーパーの大安売りで、1.8リットル200円前後(一番安い時で165円)、ドラッグストアーでも1リットル100円ぐらいで売られていることも
あった。さすがに、日本中を歩いている露店商の人達、経済観念があると感心してしまう。

駅に近づいて来たころに、関東でいう今川焼き一個80円と書いてある露店があり、今まで見てきたのは100円だったので、ちょっと悩んだか買ってみることにした。懐かしい、薄紙で出来ている白い小さな袋に入れてくれたのだ。このような紙の袋が、現在も使用されているのにおどろいてしまう。安いわりには、アンも多めで当たりだ

近くに飴細工の露店もあって覗いて見たかったが、見ている人が多くて諦めてしまうと、近くを歩いている少女が、顔よりも大きく文字の書いてある飴細工を、透明のビニール袋に入れ、持ち歩いている。その飴細工文字の達筆さに、感激してしまう。
飴細工は東南アジアなどでも見たことがあるが、その時は絵であった。私にも絵ごころがあれば、してみたいと思う仕事の一つだ。

右前方の山の中腹にも、お寺が十数寺あるようなので、またお寺巡りでもと思ったのだが、疲れも手伝って、駅に向かう気持ちに勝てなかった。

2008年6月 6日 (金)

広島の旅 三原市

三原駅のホームに降り立ち見渡すと、下り・呉線のホームに、立ち食いうどん・そば屋がある。小腹が減っていたので入ると、麺類は少し高めだが、ワンカップのお酒が190円なのは安い。つい嬉しくなって、自動販売券機のうどんとお酒のところを押してしまう。
三原市も広島市と同じく、スープは関西風だ。

駅構内の観光案内所で、三原市の観光資料をもらって、瀬戸内海の島々に行く話しを聞いていると、尾道から、島伝いに四国まで架かっている橋(しまなみ街道)を通らなくても、船で因島に行き、因島で船を乗換えて四国に行けるという。
四国に船で渡るコースが、広島にはあと2つぐらいあると聞き、嬉しくなってしまった。
もし、四国に渡るとしたら、船でノンビリ瀬戸内海を感じながら、渡りたいと思ってしまう。

三原駅は、三原城の城郭を壊し、本丸の後に建てられている。天守台の石垣と、天守台の周りの濠が残っているだけで、天守台の石垣が駅構内にまで入ってきていて、不思議な空間のある駅だ。

駅構内から、天守台後に上がれるので行ってみる。
三原城は、小早川隆景が大島・小島を石垣でつなぎ築城し、満潮時に城が海に浮かぶように見えるところから、浮城と呼ばれていたという。
今は、その面影を感じとることもできない。

駅前広場(浮城広場)から、三原港まで歩いてみると、十分ぐらいの距離だ。
港には、瀬戸内海の島々(しまなみ街道沿いの島々)に渡る船の待合室があって、売店とキップ売り場が目につく。待合室の椅子に座っているオジー・オバー。昔は三原も人が大勢歩いていたけど、今は歩いている人も少なく、寂しくなってしまった。などと話し声が聞こえてくる。
日本の懐かしい風景が、まだ少し残っているような雰囲気が感じられ、ホノボノとしてしまうが、このような場所に立ち食い屋があれば、もっと似合うだろうと思ってしまった。

港から駅に戻る途中、帝人通商店街を通るが、シャッターの降りた商店街になっている。
昔、港の近くに帝人の工場があり、今はその後地が残っていると聞くが、当時は相当にぎやかだったのだろうと想像してしまう。

駅の側で食事をしようと思って、ガード下のうどん屋さんに行くと、三時閉店・日曜休と書いてある。
港の待合室の近くに食堂があったが、戻るのも疲れそうだし、駅の近くを探し回り、やっとのおもいで商店街の近くに食堂を見つけ、空腹感を満たすことができた。

2008年5月27日 (火)

広島の旅 広島市

正月休みも終り、街も普段の動きに戻りだしたころ。高速バスで早朝の広島駅に着く。

駅構内の観光案内所は八時オープンなので、開く時間までを利用して朝食をとることにした。駅の周りを歩いてみると、営業している店があり、そこで朝定食を食べ待つことにする。

八時になり観光案内所に行くが、市内中心部のマップぐらいしかなく、個人旅行者など相手にしていられないといった風である。本屋さんが開くのを待ち、調べている時間もない。

二度目の訪れになる広島市。市内中心部地図と相談して、前回行ってない縮景園と、広島城に行くことにする。

駅のコインロッカーに荷物を入れ、ブラブラと歩きだす。快晴でもあり、暖冬のせいもあるのか、冬とは思いない暖かさだ。

街並から縮景園に入る。
庭園は、駅とお城(本丸)の中間ぐらいに位置し、京橋川(旧神田川)沿いにあり、広島藩主浅野長晟が入国の翌年から、別邸として築城した回遊式庭園で、原爆で壊滅状態になったが、整備・復元されたという。
平日の朝のせいか人影もまばらで、良く整備されている庭園を散歩していると、清々しい気分になってくる。
京橋川沿いから川を挟んで、市内の風景を眺めていると、別次元にいるような感覚に陥ってきてしまう。

庭園の隣に県立美術館が建っていて、縮景園の入園券(250円)で美術館にも入れると記載されているので、園内で一休みして、園内から直接入れる入口から美術館に入る。

美術館の売店には、外人受けするような日本工芸の小物がたくさんあり、外人観光客が多いからだろうなどと、勝手に想像してしまった。

美術館を出ると、目の前を市電が走って行く。
乗りたくなってしまう衝動に駆られ、眺め続けてしまう。

歩いて、お城の本丸を囲む内堀にたどり着き、本丸裏御門後に向かう。裏門後では、本丸の中に入る車の誘導をするガードマンが、せわしなく動ている。

毛利輝元の築城という広島城(鯉城〈りじょう〉とも呼ばれ、お堀に鯉がたくさんいたからと言う説もある)。
本丸の中を歩き回り、復元された天守閣の前に立つ。
城主が、毛利・池田・浅野家と変わる歴史的ロマンを想像し、頭の中を駆けめぐる。

本丸中御門後から二の丸に出る。二の丸には、復元された表御門と平櫓があり、入場無料の櫓に入り見学する。鉄砲狭間や弓狭間から覗く城外の風景は、ファインダーを通して見ているような感覚で、なかなか面白い。

二の丸表御門から城外に出て、お堀と平櫓を眺めながら一休みする。
戦国時代期の壮大な建築美を感じ、ほっと一息をする。

昼時も過ぎ空腹感を覚え、何を食べようかなどと考えながら、広島駅方面に向かう。

お昼休みも過ぎた時間帯なのに、混んでいるうどん屋に出会ったので入ってみる。そば屋さんと比べると安めで、美味しいほうだった。

本道りアーケード街近辺も歩き周りたかったが、夕方のJR山陽本線上り普通列車に乗る予定なので、裏道を散策しながら、歩いて広島駅に向かう。

2008年2月19日 (火)

広島の旅

2月に入り、フト新聞のテレビ欄を見て、「寅さん」の映画を放送することを知る。
鳥取でこれからどちらへ、と聞かれたトラさんは、広島から呉・竹原・三原・尾道…と答えたと思った。
私は逆に尾道・三原・竹原・呉と、島巡りの前に回ってみようと思い。まず尾道をぶらり散策することにした。

2008年1月14日 (月)

ポンド・ポンド焼き

広島三原市近郊。
全国でいろんな呼び方があるが、正月用のいろんなものを燃やす行事、北広島地方ではポンドと呼んでいるようです。

13日、竹を十メーターぐらい高く立て、四方をロープで固定し、立てた竹の周りには、各家庭から持ち出された物が、積み上げられている。柏手を打ち、代表が小さいノートを見ながら長い時間何かを読み続ける。この行事に対しての口上なのだろう。

それが終わると、塩と御神酒だと思うのだが、まず塩を燃やす物の周りを周りながら振りかけ、次に御神酒を振りかけ浄め、御神酒を皆に振る舞う。
それから火をつける。

火の勢いは強く、そのあと短めの竹をたくさん火の中に入れていくので、当然ポンポンという音が、鳴り響き続ける。

見学者の私しにも、御神酒を振る舞っていただいたのだか、紙コップやプラスチックのコップではなく、竹のコップだったのは、何か嬉しく感じてしまった。

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2008年1月 2日 (水)

謹賀新年

昨年は皆様に、ドミトリー シルシル をご利用いただきまして、ありがとうごさいました。

素晴らしい、出会いと会話を提供していたたぎ、楽しい一年を過ごさせていただくことができました。

今年も素晴らしい、出会いと会話を楽しみに頑張っていきたいと思います。

只今、冬季休業中ですが、今年も春から営業いたしますので。今年も、ご利用のほど宜しくお願いします。

休業中の間、春まで小さな旅に出かけてまいります。時々旅日記でもと思っていますので、宜しくお願いします。

ありがとう!

宿主

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